令和5年2023年最初の「給湯流アニメ茶碗の旅」の連載第三回目は、昭和に生まれたスポ根作品の「巨人の星」です。
給湯流茶道とは?まだまだご存知ない方も多いかと思いますので、しつこくご説明申し上げると読んで字のごとく給湯室で茶会をする一派でございます。戦国時代に茶道に興じた大名にならって「現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体」です。
給湯室以外にも劇場など茶室に見立てられそうな場所に赴いては全国各地で茶会を繰り広げています。直近では、東京は新宿の能楽堂で開催予定です。
「ここで茶会を開いてほしい」という要望は随時募集中でございます!
さて、今回の茶碗は豪速球!
スポ根アニメの原型イメージをつくったと思しき「巨人の星」(1968年3月30日 – 1971年9月18日放送.全182話)です。主人公は元プロ野球選手の父の星一徹に英才教育を施される少年、星飛雄馬。英才教育というか超人的な特訓生活が日常の少年期から高校の甲子園を経てプロ野球選手になり激闘するというストーリーです。
スポ根って何かというと厳密には難しい気もしますが、ひとまず特訓と新技の開発とライバルとの対決を繰り返していく展開が特長のスポーツ作品です。特訓の描写が精神力が試されるような過酷なものが多いので、スポーツに根性がかけ合わさっていると言えます。もっとも現代的感覚からすると、理不尽な指導につながるため部活の現場でも根性重視のカルチャーは問題視されつつあります。
しかし、どうやら「巨人の星」は宮本武蔵対佐々木小次郎のような剣豪ものを意識して製作されたそうで、そもそもの背景がスポーツの概念を超えています。スポーツにしては命懸けすぎる内容も納得です。
そう考えると「巨人の星」から比較してかなり爽やかになった近年のスポーツものの作品の「スラムダンク」(1990年〜1996年連載)の作者井上雄彦氏が、その後に宮本武蔵を題材にした作品を描いたのは筋の通った作品展開と言えるかもしれません。
本題の「巨人の星」は私自身はやはり再放送で断片的に観たことがある程度なのですが、それでも強烈なインパクトがありました。日常の過酷な特訓に星飛雄馬が愚痴をこぼす場面があるのですが、「普通の家庭」では当たり前のことができないことを少年が悔やむ悲哀を感じるシーンは忘れられないものがあります。
この時代のスポ根作品について回るのは主人公の貧乏さとそこからの脱却です。星一家は、星飛雄馬が幼少期の頃に母親は死別、父星一徹は土木作業などで日銭を稼ぐ元プロ野球選手、そして姉の星明子の3人で長屋住まい。大人たちは戦争体験があり、作中でベトナム戦争が進行中です。
前回紹介した「ハクション大魔王」の令和版は、やりたいことがないという贅沢な悩みの主人公でした。実はアニメの主人公から貧乏が消えたのはわりと最近かと思います。著名な作品でいえば「千と千尋の神隠し」(2001年公開)でしょうか。物質的に充足しているせいか無気力に車の後部座席で寝ている主人公というのはそれまでの主人公像からするとかなりの転機です。
国民的作品の「ドラえもん」(1969年〜)でも平均的な家庭ののび太と裕福なスネ夫との対比で構成されたストーリー展開が定番の一つだったりします。余談ですが、剛田タケシ以外はほぼ全員一人っ子です、少子化の予兆はすでにあったのかもしれません。
ちなみに最近のヒット作「チェンソーマン」(漫画2019年〜,アニメ2022年)は主人公は貧乏というかとんでもなく社会から隔絶された貧困からのスタートという設定でした。以前の貧乏設定は社会全般で珍しくないという環境下でしたが、別の質で復活しつつあります。
「巨人の星」はそんな家庭環境を吹き飛ばすぐらい野球に全人生を投入します。特訓も多種多様、寺に行ったり山籠りしたり、子どもの遊びからヒントを得たりと実験精神ありまくりです。編み出す技もハイリスクで選手生命を著しく削るものなのですが、この強い技に不可逆な身体負荷がかかる、という定式もその後の多くの作品に採用されていきます。
今では、修正不可避の放送禁止用語も頻出する作品なのですが、それがまた当時の世相を記録していると言え、その点でも貴重な作品と言えるでしょう。
一例でいえば私も参照している「百姓」という今ではむしろ多能で自立的だと肯定的に捉えられている言葉が、むしろ罵倒的に使われていたりします。
当時でもすでに懐かしい感覚のはずの校歌風の主題歌が採用され、いろんなものを犠牲にしてもこの道を極める、という姿勢とその葛藤が描かれていたり、戦争のダメージを抱えながら復興に邁進した高度経済成長の様相が垣間見えます。
では本題の茶碗です。こちらをご覧ください。
このフォントの太さと直線感、そして曲面ゆえの並びの揺れが何とも言えません。力強くも親しみある風情があります。星と言いながら、土煙の舞う大地を感じるフォントです。
漢字は数少なく今でも実用されている絵画の要素を持つ象形文字なのですが、古来の茶碗でも和歌が絵と一緒に書かれたりと文字が書き込まれることもあります。
たとえば暦を書き写したこんな茶碗も。
単にカレンダーを書き写しただけとも言えますが、かわいい。
これは19世紀の京焼きの茶碗ですが、裏にある丸の中に一文字という意匠が絶妙でまた良いです。
黒から青の釉薬もまた良い…(個人の感想ですいません)。
ちなみに、暦といえば現代では日本で一つなのが常識でしょうが、明治以前は、伊勢暦、三島暦、奈良暦など各地で独自の暦を発行する暦屋がおり、太陰暦ですから月末は月が見えない日という感覚が庶民にあったそうです。
地域ごとの縁起や農林漁業の季節柄の情報も入っていたりと今のような日付と祝日というシンプルなカレンダーとは一味も二味も違ったものだったと思われます。
年末には暦を売り歩く暦売りという職業もあったとか。暦が統一された明治期に入っても独自の暦が発行されて売られて「おばけ暦」と呼ばれたそうですが、取り締まりにあって減っていったようです。何が何でも統一するぞという明治時代の出だしはともかく、多様性の時代ですから、いろんな暦があったら楽しそうな予感もします。
ここで巨人の星茶碗をもう一度観てみましょう。
星飛雄馬と対置されているのは、やはり永遠のライバル花形満。天才肌の打者として扱われていますが彼もまた引っ張られるように新技打倒のために身体を酷使して現役寿命を削っていきます。
それにしても1970年前後の茶碗と思われますが、塗りがラフです。腕の部分もだいたいビャッと色が置かれていて肘付近や指先はもはや空白です。
とはいえ、星飛雄馬の投球の躍動感、花形満のバッティングポーズの緊張感の再現性はなかなかのものです。
製造元ロゴもないためどういう経緯でつくられたのか茶碗からは追えないところも牧歌的な時代を感じさせます。茶碗には正面があるのですが、この場合は「どこが正面か?」だけでも議論の余地があるもの茶席の話題のネタになるやもしれません。
この茶碗の銘は「左腕(さわん)のころ」となりました。名前の由来は、巨人の星のストーリー展開に関わることですので気になる方は作品を見るなり調べてみるのも一興かもしれません。
それでは今年も一球入魂で精進してまいりたいと思います、どうぞよろしくお願いします!
伊藤洋志(茶名.飛石連休)
仕事づくりレーベル「ナリワイ」代表。シェアアトリエの運営や「モンゴル武者修行」、「遊撃農家」などのナリワイに加え、野良着メーカーSAGYOのディレクターを務め、「全国床張り協会」といった、ナリワイのギルド的団体運営等の活動も行う。
執筆活動も行っており、新著に『イドコロをつくる乱世で正気を失わないための暮らし方』(東京書籍)がある。ほか『ナリワイをつくる』『小商いのはじめかた』『フルサトをつくる』(すべて東京書籍)を出版。
給湯流公式サイト:http://www.910ryu.com/
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