甘酸っぱい毎日を夢見てる、シェアハウスで暮らしてる、フリーランスフォトグラファーの初老男子、なにかと苦じょっぱくなりがちです。なまえはかおたんです。
会釈ときどき無視。東京砂漠では稀に挨拶も見られますが、朝から晩にかけて伏し目がちに素通りする乾いた風が吹き荒れるでしょう。そんな挨拶予報が聞こえてきそうな東京ご近所事情たまにハートがギザつきます。僕はわりかしご近所付き合いが嫌いではありません。
僕は街の銭湯が好きです。家に風呂があろうとも大きな湯船に熱湯にぬる湯キンキンに冷えた水風呂に誘われて、よなよな銭湯の暖簾をくぐっています。銭湯の魅力は湯船だけではありません。近所の銭湯に通えばこそ見えてくる、おそらくご近所さんなのであろう常連さんたちの不思議な生態を知ることが出来るのです。
僕が出会った常連さんの一人に「やだねオジサン」がいます。いつも「やだね〜、やだね〜」と言いながら風呂に入ってきます。「やだね〜」と言っている時に目が合うと必ず話しかけてきます。話の内容は愚痴が100%です。一度愚痴られてからは「やだね〜」が聞こえても目を合わせないようにしてやり過ごしています。たまに捕まって愚痴られている人を見かけます。愚痴られている人も、それを見ている僕も苦笑いです。ああいうオジサンにはなりたくないなと思いました。やだね〜。
そんな「やだねオジサン」をいつしか銭湯以外の近所でもよく見かけるようになりました。家と銭湯をつなぐ商店街、よく行くスーパーマーケット、最寄の郵便局でも。Wi-Fiもドリンクバーもあるからと自宅での仕事に疲れた時にたまに仕事場として使っていたファミレスでまで。モーニングの時間からディナーの時間まで近所のあらゆる場所で「やだねオジサン」と遭遇することに気がつきました。オジサンはいつでもどこでも「やだね〜」と言いながら歩きます。ファミレスで見かけた時はもちろん服を着ているのですが、なかなか独特なセンスをしています。サンダルに結構短めの短パン、シャツは派手目な開襟シャツ。なんだか自分の格好と遠からずだななどと思いながらも観察を続けるとズボンの股が擦り切れてかなり大きめな穴が開いています。帰りがけにはレジのスタッフさんにしっかりと「やだね〜」から始まる会話を弾ませます。やっぱりああいうオジサンにはなりたくないなと思いました。あぁ、やだね〜。
気づきはじめた頃はただ行動範囲が似ているのだとあまり気にせずにいました。急に見かけるようになったのではなく、いつも近くにいたけれどその人を「やだねオジサン」だと認識できていなかったのかと思います。むしろこのオジサン、実際はどこにも存在しない僕の妄想で、やだねやだねと思う気持ちが強まるうちにいつのまにか僕自身が「やだねオジサン」になっていたりするのかもしれません。かくも奇妙な物語です。
妄想か 未来視なのか やだねオジサン
会釈のち井戸端会議。会話の弾む陽気な挨拶予報から、波佐見焼のある暮らしの中に甘酸っぱい毎日を探してみたいと思います。もしかしたら、あなたの毎日も甘酸っぱくなるかもしれません。
波佐見焼は1 つのやきものを6つの工程、陶土屋、型屋、生地屋、上絵付け屋、窯元、商社の6つに分業して作られます。波佐見焼には長い歴史があるけれど、他の産地に見られるような決まった様式美や絵柄はありません。商人がお客さんから頂いた話を窯元さんに振り、窯元さんが焼いた物を問屋さんやお店に売る。この様にお客さんから頂いた情報を元に考えられた日常品を街で連携して作ることを波佐見町という街の中で、ご近所さん同士のつながりを大事にしながら400年続けてきました。
僕とやだねオジサンとのつながりとは比べ物にならない長く深い関係を交わしてきました。深く果てしなく知り合ってきたのです。
ひとつのやきものを作るのに街のご近所さんパワーを総動員します。幼馴染や同級生の友達はもちろん、ちっちゃな頃からお世話になっていた同級生のお父さんやお母さんのパワーも動員します。気心の知れた、腹を割って話せるそんなご近所ネットがあって初めて作られる、井戸端会議の結晶のようなやきものもがあるのかも知れません。
波佐見町の井戸端会議の結晶のひとつがマルヒロさんのseason1です。その結晶がどんな輝きを何故見せるのか知りたくなりました。制作風景をいくつか見学させていただき、結晶の秘密に迫ってみようと思います。
まずは型屋さんのお仕事を拝見するために作業場に伺います。