営業マンから焼き物の世界へ
波佐見町の三股郷にて、「蹴ロクロ」という原始的な方法を使って、茶器づくりをしている林潤一郎さん。
元々は結婚式場の営業マンをしていた。ある日、打ち合わせで訪れたお宅の座敷に飾られていた中里隆さん作「種子島南蛮」にとても心を惹かれたという。
種子島南蛮を見て2か月後、働いていた結婚式場を退職。27歳のときのこと。
蹴ロクロとの出会い
焼き物の道に入ったけれど、その道は厳しく、35歳のときに行き詰ってしまった。焼き物づくりをあきらめようとしたそのとき、タイミングよく知り合いから「蹴ロクロ」を譲り受けることに。
それまで使っていた電動ロクロから蹴ロクロに転換し、技術の習得に2年かけ、身体が蹴ロクロのリズムを覚えていった。
蹴ロクロを使えるようになって「何を自己表現していこうかな」と考えるように。林さんのご両親は生地屋さんで、林さんはポットや急須の接着を手伝っていた。そのことがきっかけで「蹴ロクロで急須を作ってみたらどうなるだろう?」と思うようになり、蹴ロクロで作ることが難しいとされる「急須」にあえて挑戦しようと決意。そこから急須まっしぐらに修行を続けた。
修行を重ね、少しずつ展示会のオファーが来るようになった。蹴ロクロの実演・販売という形で2年ぐらい各地を回ったが、なかなか納得のいく急須を作ることはできなかった。
茶畑の土で作る急須
急須の知識・技術を高め、急須を見つめなおすために、お茶に詳しい農家さんと仕事をしていった方がいいのではないかと思うように。お茶農家さんに作った急須を実際に使ってもらい、改良を重ねていった。
お茶農家さんは品評会で農家さん同士会う機会が多く、「お宅の急須はどちらのものですか?」と聞き合うそう。そこで林さんの急須んお評判が広がり、様々なお茶農家さんからオーダーをいただくようになった。
お茶農家さんと仕事をするうちに「茶畑の土があるから葉っぱがあるわけで、私たちも土があるから焼き物ができる」という思いに至る。
そこから「土」というものに着眼するようになり、林さんの故郷・三股の陶石と茶畑の土を使った急須を作ることになる。これが林さんの芯となった。いろいろなドラマを経て、今の林潤一郎がある。
妻・百々子さんと共に作る
マルヒロで販売している「宝瓶 flamingo」と「カップ」「茶杯」は林さんの妻・百々子さんが鋳込み成型から釉薬掛け、仕上げまでを担当。宝瓶 flamingoの内側についている茶漉しは林潤一郎さんが穴を手作業で開けて制作している。
百々子さんは高校卒業後、やきものを学ぶ学校をいくつか経て、窯元でキャリアをスタートする。窯元では絵付けから、成形、窯場での仕事まで焼き物に関する全工程を経験してきた。
焼き物に関する豊富な経験と知識をもとに、現在は林さんの工房で鋳込み成型を担当し、ときには林さんと一緒に陶石を採りに山に行ったり、採ってきた陶石を砕いて土を作ったりと、夫婦で一緒に作品を作り上げている。
二人には故郷・三股郷で叶えたい夢がある。それは三股郷に居を構え生活できる空間と、茶器というお茶の道具を通じて、自らお客さんをおもてなしできる空間を創ること。百々子さんは茶道を習っていた経験があり、林さんの茶器と百々子さんのお抹茶を一緒に楽しめる空間が遠くない未来に完成するかもしれない。
三股郷は少子高齢化が進み、この土地で採れる土や石について知っている人は林さんのみとなった。林さんは茶器陶工でもあり、三股郷の豊かな資源を語り継ぐ人でもある。いつか林さんの茶室で三股郷の話を聞ける日を楽しみにしている。
林潤一郎 Junichiro Hayashi
長崎県波佐見町三股郷を拠点に茶器を中心に作陶。波佐見町で使っている人は数少ない「蹴ロクロ」という原始的な方法を使って焼き物を作っている。
Instagram:@kyusu_toukou_hayashi